Zeebra

これと言ったきっかけは特になく、物心ついたころからB-BOYだったという。

 

小学6年生の頃にブレイクダンスを始め、17歳の頃に本格的にリリックを書き始める。

 


25 To Life』から『Hate That Booty Feat. Y’s & KOHH』/Zeebra

 

Kダブシャイン

地元が渋谷区だったということもあり、中学生のころから輸入レコード屋などでHIPHOPミュージック・ブラックミュージックに触れる機会が多かったという。

 

そして、次第にそれらの文化に興味を持ち始め、「アメリカに行ってみたい」と思うようになり、17際でアメリカへ留学することとなる。

 

帰国後しばらくは、「日本語はラップに向いていない」との思いから、英語でラップをするも、アメリカの友人から「どうして日本語でラップをしないのか」と訊ねられたことをきっかけに、日本語でラップをするようになる。

 


新日本人』から『オレの名は。』/Kダブシャイン

 

KREVA

中学生の頃にHIPHOPに出会い、「自分にはこれしかない」と強く思い、ラッパーを志すようになる。

 

高校の卒業文集では実際に「HIPHOP界にDJ兼ラッパーとして君臨する」と書いたというから驚きだ。

 


嘘と煩悩』/KREVA

 

DABO

中学生の頃に、当時大流行していたテレビ番組『ダンス甲子園』を観たことがきっかけで、HIPHOPに興味を持ち始める。

 

HIPHOPミュージックの入り口はMC Hammerだったという。

 

 

般若

高校生の頃はDJを目指していたが、RUMIから韻の踏み方を教わり、わずか3カ月でフリースタイルのステージに挑む。

 

後にHIPHOPクルー『般若』としてRUMI、DJ BAKUらと共に活動。

(当時の般若はYOSHI名義で、『般若』解散後に般若を名乗るようになる)

 

KAMINARI-KAZOKU.主催で1996年に開催されたイベント『鬼だまり』にて、RUMIがZeebraに自身らの音源が入ったテープを手渡す。

 

そのテープのB面に収録されていたのが、DIS曲とも取れるものだった。

 

これに感心したZeebraがYOU THE ROCK★のラジオ番組、『HIP HOP NIGHT FLIGHT』内で流し、その場で般若に電話をした。

 

電話に出たのが当時17歳だった般若だった。

 

般若は電話越しにフリースタイルをしてみせ、「今これを聴いてるやつら全員聞いとけ。俺が三茶が送り込んだ刺客般若だ。Checkしとけ!」とシャウトした。

 


グランドスラム』から『あの頃じゃねえ』/般若

 

ANARCHY

父親の影響で幼少期からアメリカン・ポップカルチャーに触れる機会が多かった。

 

ラップをし始めたのは15歳のころ。

 

ANARCHYといえば、暴走族の総長をしていたことで有名だが、日本で3例目となる『決闘罪』により逮捕されるという異色の経歴を持つラッパーとしても有名だ。

 

決闘罪は全6条からなり、決闘を申し込んだ人、申し込まれた人、決闘立会人、証人、付添人、決闘場所提供者など決闘に関わった者に適用される。もっとも、構成要件及び法定刑は主体ごとに定める。

  • 決闘を挑んだ者・応じた者(1条) – 6ヶ月以上2年以下の有期懲役
  • 決闘を行った者(2条) – 2年以上5年以下の有期懲役
  • 決闘立会人・決闘の立会いを約束した者(4条1項) – 1ヶ月以上1年以下の有期懲役
  • 事情を知って決闘場所を貸与・提供した者(4条2項) – 1ヶ月以上1年以下の有期懲役

 


BLKFLG』/ANARCHY

出典:wikipedia

 

SEEDA

16歳の頃に遊びの一環としてラップを始める。

 

当時からライブ活動は行っていたがメインMCではなかった。

 

影響を受けたラッパー(クルー)はTHA BLUE HERBとKREVAだという。

 

2009年にKREVAが主催となって開催された『くレーベル祭』で、ライブ終了後の楽屋で参加MC達にKREVAがこう言ったのだ。

 

 

「次は自分の力でここでライブができるように頑張ってください」

 

 

『くレーベル祭』に客演として参加していたSEEDAは、その言葉に悔しい思いをしたと後に語っている。

 


CONCRETE GREEN13』から『BUSSIN』/SEEDA, Junkman, kZm

 

YOUNG HASTLE

中学3年生の頃にスケートボードにハマっていたYOUNG HASTLE。

 

ストリートマガジン『Ollie』に、『空からの力』/キングギドラが掲載されていたのを見て、数か月後にZeebraの1stアルバムを購入。

 

そこからZeebraの大ファンになり、自身の3rdアルバムとなる『Return of the Hastle』に収録された『 My Idol』は、Zeebraへの想いを綴ったリリックとなっている。

 


『Forever Living Young』から『 F.L.Y.』/Young Hastle

 

ISH-ONE

小学6年生の頃に、レンタルショップで「アメリカで発禁処分になりかけたアルバム」と銘打たれたCDを見つけ、気になってレンタルしてみたところ、それが『Home Invation』/ICE-Tだったという。

 

その後、18歳でNYへ渡り、HIPHOPについて学ぶ。

 


PurpleNinja』から『Mr.Problem』/ISH-ONE

 

KOHH

小学4年生の頃、友人と卓球をしているところに、友人の兄がMDコンポを持って現れ、そこで流した曲が『UNSTOPPABLE』/キングギドラだったという。

 

『UNSTOPPABLE』を聴いて衝撃を受け、以降キングギドラの音源を聴き漁り、替え歌の要領でリリックを書いていた。

 


DIRT Ⅱ』から『Die Young』/KOHH

 

AKLO

15歳のころに、当時住んでいたアメリカでMASTER Pを知りラップを始める。

 

その後日本は大分の大学に通うことになり、当時の九州のHIPHOPシーンが盛んだったため、自身も自然とライブ活動等を行うようになる。

 

始めは日本にいながら英語でラップをしていたが、友人から「どうして英語なの?英語じゃ全然伝わってこない」と言われたことがきっかけで、日本語でラップを始めるようになる。

 


Outside the Frame』から『Outside the Frame』/AKLO

 

SALU

音楽好きの両親の影響で、3歳のころからドクター・ドレーを聴いていたという。

 

音楽をやりたいという、漠然とした思いが常にあったものの、歌も歌えず楽器も出来ないからと半ば諦めていたころ、たまたまラジオで流れていたKICK THE CAN CREWの曲を聴き、日本語ラップを知る。

 

そして、「これなら出来るかもしれない」と思い、自身も日本語ラップを始めるようになる。

 


Say Hello to My Minions』から『Sleep Walking』/SKY-HI × SALU

 

SKI-HI

HIPHOPにハマったのは、中学生の頃。

 

当時は既にトップ・チャートにHIPHOPが入っていることは当たり前だったため、自然とHIPHOPと触れる機会も多かったという。

 

SKI-HIと言えばパフォーマンスグループ『AAA(トリプルエー)』のメンバーとして有名であるが、SKY-HIという別名義でラッパーとして活動するきっかけとなったのが、『花と雨』/SEEDAや『プロローグ』/KEN THE 390、『SOUL SPITS』/TARO SOULだったという。

 

 

IO(KANDYTOWN)

小学生の頃からの友人で、同じくKANDYTOWNに所属する今は亡きメンバーYUSHIが、ある日『8 Mile』に影響を受けランドセルにNASのステッカーを貼って登校してきたという。

 

YUSHIと仲が良かったIOも自然とHIPHOPにハマっていくことになり、彼らの中で遊び=ラップになっていった。

 

IOと言えば先日4月19日に2ndアルバム『Mood Blue』がリリースされたばかり。

 

客演としてYOUNG JUJUをはじめとするKANDYTOWNのメンバー以外にも、ANARCHYやZeus、気鋭の新人ラッパーKIANO JONESなどが参加している。

 

前作の『Soul Long』の統一感のあるクールなテイストを踏襲しつつ、さらにスケールアップした今作。

 

チェック必至の一枚だ。

 


IO 2nd album 『Mood Blue

 

Jinmenusagi

中学生のころにエミネムの4thアルバム『Encore』を聴いたことでHIPHOPに興味を持ち始める。

 

その後、テレビ東京の情報番組『SHOWBIZ COUNTDOWN』内で流れていた、『Lonely』/AKONのPVを観たことがきっかけで本格的にHIPHOPにのめり込んでいく。

 


はやいEP』から『はやい』/jinmenusagi

 

ハシシ(電波少女)

16歳のころにDJを始める。

 

同時期に、MCをしていた友人に誘われてラップも始めることになり、ラップの方が楽しいと感じ、本格的にラッパーとしてのキャリアをスタートさせる。

 

影響を受けたアーティストを、強いて挙げるとすると『STERUSS』とのこと。

 


※現在の電波少女はFUNKY髭HANKが脱退し、1MC1DJのクルーとして活動。

 

サイプレス上野

小学生の頃に『ダンス甲子園』を観てHIPHOPに興味を持ち始める。

 

当時友人間でバスケットボールで遊んでいる際に、「それっぽい曲流しながらやろう」という話になり、バスケ雑誌の裏に掲載されていたHIPHOPのコンピレーションアルバムを購入したことがきっかけで、本格的にHIPHOPに傾倒していくことになる。

 

R-指定(Creepy Nuts)

11歳のころに『1,000,000 MONSTERS ATTACK』/SOUL’d OUTを聴き、ラップの表現の面白さに惹かれ始める。

 

その後、ZeebraやKAMINARI-KAZOKUのCDをレンタルして、どっぷりHIPHOPに浸かっていくこととなる。

 

フリースタイルとの出会いは高校生の頃で、友人のLARDに誘われて行ったサイファーが、数々の名バトルMCを生み出してきた『梅田サイファー』だったという。

 

『梅田サイファー』と言えば、同サイファー出身で、「スキルだけならR-指定よりも上」と名高いふぁんくが、2ndアルバムとなる『INTROSPECTIVE (イントロスペクティブ)』を4月12日にリリースしたばかりだ。

 

全国のヘッズや同業者から高い評価を受ける同アルバム、皆さんにもぜひチェックしてみて欲しい。

 


助演男優賞』から『助演男優賞』/Creepy Nuts

 

呂布カルマ

HIPHOPとの出会いは小学生時代。

 

母親が買ってきた『スチャダラ外伝』/スチャダラパーを聴いたのが、初めてHIPHOPに触れた瞬間だったという。

 

しかし、このときはHIPHOPとして聴いていた認識はなく、自分からHIPHOPを意識して聴き始めたのは、高校3年生~大学にかけての間だという。

 


A New Misunderstanding』から『生まれては死んでいく赤道直下の赤ん坊みたいに』/p1 a.k.a. 2g × 呂布カルマ

 

ACE

小学4年生の頃に、当時大流行していたTBS系のTV番組『学校へ行こう!』内のコーナー「B-RAP HIGH SCHOOL」を観たことがラップに興味を持つきっかけとなる。

 

同番組で流れていた音源を探す過程で、KICK THE CAN CREWやRIP SLYMEを知り、HIPHOPにのめり込んでいった。

 

また、アニメ『ビーストウォーズ 超生命体トランスフォーマー』のオープニング「WAR WAR! STOP IT」のラップパートを聴いたことも、ラップを好きになるきっかけとなったという。

 

当時から「トラックを流すと自然と言葉が口から出てきていた」と言うほど、日本屈指のフリースタイラーとしての片鱗を見せていた。

 

あなたのルーツは?

ここまで、ラッパー達のルーツに迫っていきましたが、この記事をご覧いただいている皆様は、何が(誰が)きっかけでHIPHOPにハマりましたか?

 

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粗品ではございますが、日ごろのお礼も込めて賞品も用意しております(__)

 

お手隙の際にお答えいただけると嬉しいです!